築地と豊洲の間から

東京湾沿いから、思ったことを書いてみます。

爺さん。

先日、うちの爺さんが亡くなった。90歳だった。

最後にまともに会話したのは10年前くらいだったろうか、もはやどんな会話をしたかは覚えていない。脳梗塞をしてからはボケがひどく、久々に見るたびに別人のようになっていく姿に時の流れを感じずにはいられなかった。最期に入院して寝ている姿を見たときに、よくある話かもしれないが、少し思い出に浸ってしまった。

 

思えばとんでもない体力の持ち主だった。新潟生まれの爺さんは身長が185cmあった。今の時代でもでかいと思えるのに、当時はずば抜けてでかかったに違いない。その後、戦時中は予科練に入隊し、飛行機に乗っていたそうだ。思えば背中に銃弾に撃たれたような傷があったのはこの頃のものだろう。

その後、戦争が終わって何の仕事に就こうか悩んでいるときに1件お誘いを受けたそうだ。どうもヘリコプターを2台保持している会社で、そのパイロットになってほしいという。爺さんは「そんな墜落しそうなヘリコプターに乗れるか」と断った。ちなみにその会社の名前は日本ヘリコプターだと言う。今の全日本空輸ANA)だ。空港でANAの略称をNHと書くが日本ヘリコプターの略なんだとか。なんと先見性がないやつなんだと、何度か呆れた。その当時からパイロットになっていれば出世できたかもしれないのにと。まぁそうなったら私は生まれていない可能性が高いから結果良しとする。

 

その後、その体力を活かしてなのか警察官になった。昔の写真を見た時、爺さんはほぼヤクザみたいな風貌だった。ハードボイルドなメガネをかけて金色の腕時計、コテコテな格好でもはや面白かった。昔の警察官は、それはそれは恐ろしかったと父が語っていた。ある日の深夜、我が家に泥棒が入ったことがあった。婆さんと当時小さかった父とおじさんが物音に気づき隠れていると、爺さんがこたつの足を外してその泥棒に向かっていきボコボコした。その後、服が血まみれの爺さんが戻って来た時、その姿はもはや阿修羅のようだったという。警察官の家に来る泥棒もアホすぎるが、そんなのお構いなしだった。

 

私が生まれたときにはすでに警官も引退しており、いつも相撲を見ている印象しかなかった。会うと必ず腕相撲を仕掛けてきたが、勝てたのは高校に入ってからだった。野球と剣道をしていたため筋肉は人並み以上と自信があったがそれ以上に爺さんは筋肉がすごかった。

 

終盤になると、頭はボケているのは体は尋常じゃなく強靭だった。意識があるのかないのかわからないのに外に出ては倒れて救急車を呼ばれる。救急隊員から、

「このおじさん何回か見たことある」と、もはや常連さんになっていた。

 

今年の年始に、「爺さんが倒れて入院した、医者からはあと一ヶ月だと言われている」と連絡がありお見舞いに行った。もうこれで最期かな、と思ったがそのやりとりを3回繰り返した。死ぬ死ぬ詐欺だった。医者はなぜこんなに長く生きられるかわからないと疑問に思われていた。

最期に心臓が止まり、また医者が来られて手の脈を測る。死亡宣告をするのが、全然しない。なんと心臓が止まっているのに脈だけ動いてる状態が長らく続いた。もはやゾンビの領域だった。

 

私は爺さんから何を引き継いだだろうと考えると、全然見当たらない。身長もそこまで高くないし、泥棒とも戦わない。ただ、体力は引き継ぎたい。死んでもまた息が戻ってきそうなくらいの活力が欲しい。果たしてそんな目標で爺さんは許してくれるだろうか…